C.S.ルイスのクリスマス
ルイスが所属していた英国国教会では詩篇110篇をクリスマス用に指定しています。まず、その箇所を見てみましょう。以下の通りです。 詩編110 ダビデの詩。賛歌。 1:わが主に賜った主の御言葉。「わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう。」...
ルイスの「祈り」に関する考え
ルイスは『神と人間との対話』(Letters to Malcolm, 1963)という本の中で祈りについて触れています。死の直前に書かれた本ですので、ルイスの遺言とも取れます。では、その本の中でルイスは「祈り」に関して何を言いたかったのでしょうか。これから、少しずつ取り上げ...
キリスト教弁証に関してのルイスの考え3
(3)憧れ さて、ここでルイスの言う「憧れ」について触れておきたい。それが、ルイスのキリスト教弁証に大きくか関わると考えるからである[1]。 ルイスは幼年期においての喜びに関する三つの驚異的体験をした。最初の体験は、ある夏の日、花の咲いているスグリの藪のそばに立っていた時に...
キリスト教弁証に関してのルイスの考え2
(2)ルイスのキリスト教弁証に対する敵 ルイスは「生一本のキリスト教」を旗印としてキリスト教弁証を行なったが、キリスト教界内において「生一本のキリスト教」に相反する考えを持つ者を見て取った。ルイスは彼らを批判対象と見なしたが、大別すると次の四つに分類することができると思われ...
キリスト教弁証に関してのルイスの考え
(1)ルイスのキリスト教弁証の使命 新約聖書には、一世紀のキリスト者たちが、福音伝道に励んだことが記録されている。一例として、キリスト教に回心したばかりのパウロは、異邦人伝道を自分の使命と考え即座に行動した[1]。また、十二使徒であったペテロやヨハネも当時の支配者に屈せず、...
ルイスのキリスト教受容 その6
5.キリスト教再受容 ルイスのキリスト教再受容は、トルキーンとダイソンとの長時間にわたる論議の約十日後の9月28日の朝、兄ウォレンの運転するサイドカーに乗ってウイップスネイドにある動物園に行ったときに起こった。ルイスはその時の様子を次のように語る。...
ルイスのキリスト教受容 その5
4.2友人たちと論理的考え 1919年、ルイスは大学の研究者を夢見て古典古代の言語と文学を学ぶために戦場からオックスフォードに戻った。ルイスの学業成績は卓越したものがあった。戦地から帰還して一年後の1920年に古典学で第一級賞、1922年には人文学において第一級賞を受賞した...
ルイスのキリスト教受容 その4
4.キリスト教再受容のきっかけ 4.1読書 さて、ルイスが無神論を強めた場所がグレート・ブックハムであったが、キリスト教再受容の発端となる出来事もここグレート・ブックハムで起こった。1915年にサレー州レザーヘッド駅の売店で偶然G.マクドナルドの『ファンタスシス』を手に取っ...
ルイスのキリスト教受容 その3
3.キリスト教棄教 1911年、ルイスはシャルトルと呼ばれる予備学校に移った。転校してまもなく、教室に忘れられていた文芸雑誌を手に取り、何とはなしにめくっていたルイスは大きな衝撃を受けた。それは『ジークフリートと神々の黄昏』という題の本に載せられていた北欧神話に関する挿絵で...
ルイスのキリスト教受容その2
2.初期の学校時代とキリスト教受容 母親の死後、ルイスはワイヴァーン、キャンベル、シャルトル、マルヴァーンと四つの学校で学ぶことになる。「爺さん」と渾名されている校長が校主であった最初の学校であるワイヴァーンでの教育は、とりとめのない歴史の年号や戦争名、輸出入品の値段をただ...