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特集記事

キリスト教弁証に関してのルイスの考え3

(3)憧れ

 さて、ここでルイスの言う「憧れ」について触れておきたい。それが、ルイスのキリスト教弁証に大きくか関わると考えるからである[1]。

 ルイスは幼年期においての喜びに関する三つの驚異的体験をした。最初の体験は、ある夏の日、花の咲いているスグリの藪のそばに立っていた時に、兄ウォレンがビスケットの蓋で作った箱庭の思い出が不意に彼方から訪れたこと、二番目はビアトリックス・ポターのSquirrel Nutkinを読んだ時に、秋という季節を渇望し、それを求めて何度もその本に返ったこと、三番目の経験はロングフェローのDrapaという詩を読んでいる時に、北欧の神に強い渇望が湧き上がった。(『喜び』pp.16-17)その体験で共通しているのは、喜びは不意に訪れ、日常生活で得られるものとは異なる、異次元からくるような喜びで、決して満たされない、手に入らないものだということである。ルイスにとって「憧れ」または喜びはキリスト教回心前と回心後では意味合いが違う。回心前は憧れを目的として捉えていたが、回心後はそれを手段、つまり別世界の消息を告げるもの、究極的実在の確かな徴と見なすようになった[2]。これを文字どおり当てはめれば、人それぞれ「憧れ」となるものは違うが、それを確かな実在である神、また天国への消息を告げるものと見ることかできる。また拡大的には、我々を確かな実在に導いてくれるものそのものと解釈することも可能である。そして逆に、ルイスのこの見方は我々への警告ともなり得る。それは「憧れ」を満足させるための行動は無駄になる[3]、つまり、誰であっても、たとえキリスト者であっても、「手段」を大切にするあまり、「目的」を見失うことがあり得る、という点である。ルイスは「生一本のキリスト教」を弁証するに際し、この方法を巧みに用いているのである。

[1] 竹野一雄『C.S.ルイスの世界 永遠の知恵と美』彩流社、1999、p.49。

[2] 前掲書、p.52。

[3] Meilaender, Gilbert. The Taste for the other- The Social and Ethical Thought of C.S. Lewis. Wm. B. Eerdman Publishing Co. 1978, p.15.


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