「ほかの福音はない」
今月から月の最終日曜日はガラテヤ書を学びます。ガラテヤ書は戦いの書とも言われ、キリスト者としてこの世の霊と戦うための良い手引きとなっています。サタンはクリスチャンを汚そうとあらゆる誘惑を仕掛けてきます。しかし、白い演壇の布地のように、私たちもガラテヤ書を学び、汚点も傷もない...
Happy Easter
今日はイースターの礼拝を捧げることができました。久しぶりに大勢の人が教会に集まり礼拝を共にすることが出来ました。 礼拝後の愛餐会も、盛大に行われました。主に感謝!!
ルイスのキリスト教受容 その6
5.キリスト教再受容 ルイスのキリスト教再受容は、トルキーンとダイソンとの長時間にわたる論議の約十日後の9月28日の朝、兄ウォレンの運転するサイドカーに乗ってウイップスネイドにある動物園に行ったときに起こった。ルイスはその時の様子を次のように語る。...
ルイスのキリスト教受容 その5
4.2友人たちと論理的考え 1919年、ルイスは大学の研究者を夢見て古典古代の言語と文学を学ぶために戦場からオックスフォードに戻った。ルイスの学業成績は卓越したものがあった。戦地から帰還して一年後の1920年に古典学で第一級賞、1922年には人文学において第一級賞を受賞した...
ルイスのキリスト教受容 その4
4.キリスト教再受容のきっかけ 4.1読書 さて、ルイスが無神論を強めた場所がグレート・ブックハムであったが、キリスト教再受容の発端となる出来事もここグレート・ブックハムで起こった。1915年にサレー州レザーヘッド駅の売店で偶然G.マクドナルドの『ファンタスシス』を手に取っ...
ルイスのキリスト教受容 その3
3.キリスト教棄教 1911年、ルイスはシャルトルと呼ばれる予備学校に移った。転校してまもなく、教室に忘れられていた文芸雑誌を手に取り、何とはなしにめくっていたルイスは大きな衝撃を受けた。それは『ジークフリートと神々の黄昏』という題の本に載せられていた北欧神話に関する挿絵で...
ルイスのキリスト教受容その2
2.初期の学校時代とキリスト教受容 母親の死後、ルイスはワイヴァーン、キャンベル、シャルトル、マルヴァーンと四つの学校で学ぶことになる。「爺さん」と渾名されている校長が校主であった最初の学校であるワイヴァーンでの教育は、とりとめのない歴史の年号や戦争名、輸出入品の値段をただ...
ルイスのキリスト教受容
1.ルイスの幼年期 C. S. ルイス (Clive Staples Lewis, 1898-1963) は、北アイルランドの首府であるベルファストで、事務弁護士であった父親のアルバート・ジェームス・ルイス(Albert James Lewis,...
滝沢先生宅聖餐礼拝
4月24日吉祥寺滝沢陽一先生宅にて滝沢陽一先生(94才)の司式で在宅聖餐礼拝が行 われました。相模原南教会からも一宮牧師を始め役員の方々が参加されました。 主に感謝! #滝沢牧師
今日の礼拝
マルコ1:21-28 イエスはカペルナウムの会堂で教えられました。会堂というのはユダヤ教のシナゴーグのことです。当時の会堂の主な役目は教えること、つまり、祈り、聖書を読み、それについて説明することでした。賛美歌や、動物の犠牲は捧げられませんでした。そしてそこには、専属の教師...