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特集記事

ルイスのキリスト教受容その2

2.初期の学校時代とキリスト教受容

母親の死後、ルイスはワイヴァーン、キャンベル、シャルトル、マルヴァーンと四つの学校で学ぶことになる。「爺さん」と渾名されている校長が校主であった最初の学校であるワイヴァーンでの教育は、とりとめのない歴史の年号や戦争名、輸出入品の値段をただ覚えるものだった。それはルイスにとっては意味のない劣悪なものであった。図書館もなかった。そこにはルイスの想像力を発展させるものは何もなかったのである。むしろ停滞させてしまったと言っても過言ではないだろう。しかし、爺さんの学校在学中にあえて重要なことを一つはあげれば、ルイスがキリスト教信仰を確立したことであろう。その基盤となったものが日曜日ごとに二度ずつ行った教会にある。ルイスはその教会の流儀に強く反撥した。見慣れぬ儀式が執り行われていたからである。しかし、あるものがルイスの琴線に触れた。それについてルイスは次のように言う。

重要だったのは、この教会で、ただの「昂奮状態」ではなく、キリスト教の教義を、本当に親交のある人たちから聞かされたことである。私は無神論者ではなかったから、そうした人たちの影響を受けて、自分がすでに信じていたと言えば言えるものに生命が宿ったのである。(『喜び』, 50)

それ以来ルイスは聖書をよく読み、祈りを唱え、学友たちと宗教のことを題材として議論を健全な仕方で交わすようになった。

 1910年にワイヴァーンが廃校になると、ルイスはアイルランドに戻り、一学期間だけキャンベルで過ごした[1]。この学校はルイスにとって嫌な思い出はないが、父親の思惑により他校への転校を余儀なくされた。

[1] ウォルター・フーパー、山形和美監訳『C.S.ルイス文学辞典案内』彩流社、1998、p.4。


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