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特集記事

キリスト教弁証に関してのルイスの考え

(1)ルイスのキリスト教弁証の使命

新約聖書には、一世紀のキリスト者たちが、福音伝道に励んだことが記録されている。一例として、キリスト教に回心したばかりのパウロは、異邦人伝道を自分の使命と考え即座に行動した[1]。また、十二使徒であったペテロやヨハネも当時の支配者に屈せず、自分の見聞きしたことについて語ることをやめなかった[2]。これらのことは福音伝道がキリスト者の使命の一つとして考えられていたことの証左となる。さて、無神論から有神論へそして最終的にキリスト教に回心したルイスも、キリスト者としての使命を感じていたことが『キリスト教の精髄』(Mere Christianity, 1952)から窺える。

私はクリスチャンになって以来、いつもこう考えてきた——未信者である隣人たちに対してわたしのなしうる最善の、いや、おそらく唯一の奉仕は、あらゆる時代を通じて、ほとんどすべてのクリスチャンが共通に抱いてきた信仰を説明し、かつ弁護することである、と。(『キリスト教の精髄』p.3)

ルイスは、あらゆる時代を通して、ほとんどすべてのキリスト者が抱いてきた信仰を未信者の友人に伝えることを使命としたことが見て取れる。

では、ルイスが擁護したキリスト教とは一体何であったのか。ルイスはその呼称をバックスター(Richard Baxter, 1615-1691)に求める。

最後に、わたしの印象では、非常に多くの、わたしなどよりもずっと才能のある著作家たちが、そういった論争問題についてはすでにいろいろ書いているのに反し、バックスターが「まじりけのない」キリスト教と呼んだものに対する弁護を行なってくれる人ははなはだ少ない。(『キリスト教の精髄』p.4)

バックスターは十七世紀のイギリスのピューリタン牧師であり、シュロップシアのラウトンに生まれ、独学で神学を修め、1638年ウースター宗教J.ソーンバラから聖職按手を受領した[3]。彼はルイスに先駆けて「まじりけのない」キリスト教(本稿では「生一本のキリスト教」に統一)という言葉を用いたが、その意味するところを自身の著作であるChurch-History of the Government of Bishops and their Councils(1680)から探ることができる。それによれば、彼は他の宗教の門下の者ではなく、キリスト教があるならどこでも存在してきた教会に属している、生一本のキリスト者であると宣言している[4]。つまり、彼が言う「生一本のキリスト教」とは、昔から、厳然として存在してきたキリスト教ということになるだろう。では、ルイスの言う「生一本のキリスト教」を見ていこう。

わたしがこの本を書いているのは、「わたしの信仰」と呼びうるようなものを説くためではなく、「まじりけのない」キリスト教——厳然として存在し、わたしの生まれるずっと昔から、わたしの好むと好まざるとにかかわらず、厳然として存在してきた純粋のキリスト教——を説明するためだからである。(『キリスト教の精髄』p.5)

ルイスもバックスターと同様、「生一本のキリスト教」を、好むと好まざるに関わりなく、昔から厳然として存在しているキリスト教という意味で用いていることが見て取れる。ルイスの神学は、意図的に、正統的で伝統的であり、聖書と世界教会的な信条に忠実なのである[5]

さて、ルイスがバックスターに言及しているのは、『キリスト教の精髄』だけではない。1952年2月8日にChurch Timesの編集者に宛てた手紙でもバックスターと「生一本のキリスト者」について触れているが、それと同時に、「生一本のキリスト者」が信ずる教義についても言及している。その教義とは、創造、堕落、受肉、復活、再臨、四つの最後の事柄、すなわち死、裁き、地獄、そして天国を信じることである(Collected Letters of C.S. Lewis III, 164)。では、キリスト者であれば、これらの教義を教派に関わりなく信じているのだろうか。ルイスは『キリスト教の精髄』の原稿の一部を、英国国教会、メソジスト、長老派、カトリックの僧職者に送り批評を仰いでいる。その結果を以下に見てみたい。

本書第二部の本の原稿を四人の聖職者(英国国教会、メソジスト、長老教会、ローマ・カトリック)に送り、それぞれ批判を求めたのであった。メソジストの牧師は、信仰についての説き方が不十分だといい、ローマ・カトリックの神父は、それほど重要でない贖罪説の紹介にやや深入りした感があると言った。が、その他の点ではわれわれ五人の意見はすべて一致したのであった。(『キリスト教の精髄』p.8)

細部で異論はみられたが、大筋で四人の聖職者はルイスの考えと一致していることを示した。四つの異なる教派の宗教者たちが意見の一致を見たということはルイスの「生一本のキリスト教」には各教派の統一を試みる含意があったのだろうか。ルイスにはそのような革新的な意図はなく、ただ単に、ルイスが生まれる前から厳然として存在してきた伝統的なキリスト教を擁護することを意図していた。それは、ルイスが『キリスト教の精髄』を書いた目的が、自分の宗教である英国国教会へと、多くの人を改宗させるのではなく、キリスト教の様々な部屋の玄関に人を連れてくることであるとしていることから窺えるのである(『キリスト教の精髄』pp.15-16)。

[1] 「ガラテヤの信徒への手紙」1章15-17節。

[2] 「使徒言行録」4章18-20節。

[3] 『キリスト教人名辞典』日本基督教団出版局、1986、p.1080。

[4] Richard Baxter, Church history of the Government of Bishops and their Councils, 1680, p. xv. http://www.lewisiana.nl/baxter/ 2015/09/08

[5] John D. Heigh The fiction of C.S. Lewis, Thesis for the degree of Doctor of Philosophy, The University of Leeds, 1962, p.69.

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