証しとは
今日はガラテヤ書 1:11からの説教でした。私たちキリスト者は証しをする際、パウロのように自分に注意を向けるのでなく、神にのみ注意を向けることが必要です。それが神に関する証しとなるのです。
神からの祝福
今年も教会の庭に神からの祝福である産物が沢山実りました。 トマト、じゃがいも、そしてイエスも例えで用いられたぶどうも収穫間近です。
キリスト教弁証に関してのルイスの考え
(1)ルイスのキリスト教弁証の使命 新約聖書には、一世紀のキリスト者たちが、福音伝道に励んだことが記録されている。一例として、キリスト教に回心したばかりのパウロは、異邦人伝道を自分の使命と考え即座に行動した[1]。また、十二使徒であったペテロやヨハネも当時の支配者に屈せず、...
「神の忍耐を想う」
今日の松山幸生牧師の説教は創世記8:6-9に基づくお話でした。大洪水後、アララト山に漂着したノアとその家族は、さらに40日間待ち、鳩を飛ばしました。地上に乾いた陸地あるかどうか確かめるためでした。ノアの地上に出たいというはやる気持ちはいかばかりだったでしょう。ノアはそのはや...
ペンテコステ礼拝
今日はペンテコステ礼拝でした。創世記2:1-7からは神が土(アダマ)から人(アダム)を形造りましたが、そこに命の息を吹き入れたことによって生きた魂になったこと、またコリント一12:1-11を通して、霊によって私たちは様々な賜物が与えられていること、ヨハネ20:19-23から...
み心ならば
今週の説教はマルコ1:40−45に基づくものでした。イエスは重い皮膚病を患っている人を清められました。この「重い皮膚病」というのは当時、汚れた者とされ、仲間のイスラエル人から偏見を持って見られました。そして家族とも離れ、部族の外に居住しなければなりませんでした。しかし、主イ...
申命記7章
愛餐会の後、いずみ会を楽しみました。今日は松山先生の書かれた本から、申命記7章を学ぶことができました。イスラエル人はカナン人と妥協することはありませんでした。忍耐強く神を信じ待ち望みました。今日の説教とリンクしている点が多々ありましが、私たちも、絶えず、どんな場所でも、状況...
「神の救いを待つ」
創世記8:1−5に基づくお話でした。私たちは神を待ち望んでいます。しかし、私たちは、私たちの方法で、神を待ち望むべきでしょうか。箱舟の中にいるノアの家族は大雨が去っても箱舟の中にいなければなりませんでした。いつ箱舟から出れるのでしょうか。彼らは、彼らが期待していた通りに神が...
じゃがいも掘り(予告)
相模原南教には小さいながら畑があります(駐車場と隣接していますが)。えんどう豆、トマトなどを栽培していますが、ジャガイモも栽培しています。今年もジャガイモが順調に育ってくれています。 そこで、来月第3日曜日(予定)に毎年恒例のじゃがいも掘りをしたいと思います。礼拝後の大きな...
病人を癒し、宣教するイエス
イエスは人々に神の福音を告げ知らせました。そして、その教え方は驚くべきものがありました。なぜでしょうか。それはイエスが律法学者のようではなく、権威ある者として教えられたからです。イエスはシナゴーグでも教えられました。シナゴーグに集まってくる人々の中に悪霊に取り憑かれた人もい...