「罪びとを招くために」
「医者を必要とするのは丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは正しい人を招くためではなく、罪びとを招くためである。」当時の罪びととは、娼婦や徴税人などでした。イエスはそれらの人々と食事をしていたのでファリサイ人から咎められました。しかし、イエスは上記のように語り、ファリ...
証しとは
今日はガラテヤ書 1:11からの説教でした。私たちキリスト者は証しをする際、パウロのように自分に注意を向けるのでなく、神にのみ注意を向けることが必要です。それが神に関する証しとなるのです。
ペンテコステ礼拝
今日はペンテコステ礼拝でした。創世記2:1-7からは神が土(アダマ)から人(アダム)を形造りましたが、そこに命の息を吹き入れたことによって生きた魂になったこと、またコリント一12:1-11を通して、霊によって私たちは様々な賜物が与えられていること、ヨハネ20:19-23から...
病人を癒し、宣教するイエス
イエスは人々に神の福音を告げ知らせました。そして、その教え方は驚くべきものがありました。なぜでしょうか。それはイエスが律法学者のようではなく、権威ある者として教えられたからです。イエスはシナゴーグでも教えられました。シナゴーグに集まってくる人々の中に悪霊に取り憑かれた人もい...
「ほかの福音はない」
今月から月の最終日曜日はガラテヤ書を学びます。ガラテヤ書は戦いの書とも言われ、キリスト者としてこの世の霊と戦うための良い手引きとなっています。サタンはクリスチャンを汚そうとあらゆる誘惑を仕掛けてきます。しかし、白い演壇の布地のように、私たちもガラテヤ書を学び、汚点も傷もない...
今日の礼拝
マルコ1:21-28 イエスはカペルナウムの会堂で教えられました。会堂というのはユダヤ教のシナゴーグのことです。当時の会堂の主な役目は教えること、つまり、祈り、聖書を読み、それについて説明することでした。賛美歌や、動物の犠牲は捧げられませんでした。そしてそこには、専属の教師...
今週の礼拝
今週は松山幸生牧師をお招きして、創世記7:21-24に関する説教を拝聴することができました。題は「神の審きの許に」。 普通、神の裁き(審き)というと、神に逆らう悪人が神によって裁きを受け罰せられる、という印象を持ちます。しかし今日の説教では、神の裁きとは、「神のものだったも...
今日の礼拝
今週はマルコ1:16-20でした。イエスは最初の弟子たちを集められました。ご損じの方も多いと思いますが、イエスの弟子たちの多くは漁業を生業にしていました。歴史家のヨセフスによれば、当時、約330艘の漁船がガリラヤの海(実際には湖)で操業していました。獲れたての新鮮な魚はロー...